K.ベンチュリの死を悼んだA.パーマー
アーノルド・パーマー(米)が2013年に鬼籍に入った仲間たちを偲び、思い出を語った。ゴルフチャンネルの取材に答えたパーマーは、中でも5月に82歳で亡くなったケン・ベンチュリ(米)と関係を修復しておかなかったことへの後悔を口にした。
パーマーとベンチュリの関係が微妙なものになったのは1958年のマスターズでのルールトラブルがあるからに他ならない。最終日、2人は同じ組で優勝争いを繰り広げていたが、アーメンコーナーの12番パー3で事件は起きた。グリーンオーバーしたパーマーのティーショットが、ぬかるんでいた地面に突き刺さった。パーマーは、ローカルルールで救済を受けられるはずだと主張。そのまま打つように指示した競技委員に逆らい、規則3-3に基づいて2つの球でホールアウトした。
最初のボールがダブルボギーで、2つ目のボールはパーだった。ホールアウト後、競技委員会がパーマーの主張を認めパーというスコアが採用され、パーマーは1打差でマスターズ初優勝。その後もグリーンジャケットを3度着るほどの実績を積み重ねた。
パーマーとベンチュリはいずれも実力者としてプレーを続け、やがてゴルフ界の重鎮となった。この事件が本人たちによって蒸し返されることは長い間なかったが、2004年にベンチュリが著書『ゲッティング・アップ&ダウン』の中でパーマーの行為を批判して、当時のことが再び取り沙汰されることになった。「あの時『最初の球を打つ前に、第2の球をプレーすることを宣言しておかなければいけない。もし最初のボールがチップインしていたら、第2の球を君は打っていたのか』とパーマーに言った」とベンチュリが書いた一文が物議をかもした。パーマーはこれに先駆けて、自らの著書で「私はルールに従ったまで」と語っており、反論とも取れるベンチュリの著書に一時ゴルフ界は騒然となった。
結果的にベンチュリが「パーマーがズルをしたわけではなく、第2の球を誤った方法でプレーしただけ」と語り騒動に終止符を打ったのだが、後味の悪い事件だったことは確かだ。この出来事を受けて今回パーマー自らこの事件に触れるに至った。
「あの事件は私たちの関係に影響を与えた。私たちはそれぞれ本を書いており、いずれも自分が正しかったと言っている。でも、あのエピソードについてはゴルフ規則という観点からもっと語られるべきことだった。ケンは素晴らしい人間だったのに関係が微妙だったことを後悔している」と、事件から55年経って口にしたパーマー。9月に84歳の誕生日を迎え、昔の仲間たちが次々と鬼籍に入る寂しさをにじませた。